私は“ヤングケアラー”だった
「ヤングケアラー」とは、家族という呪縛により時間や生活を脅かされる子供たちのこと
「ヤングケアラー」とは、幼いきょうだいや依存症や精神疾患などの家族の介護や心のケア、本来は大人が担うべき身の回りの世話などをしている18歳未満の子どものことをさします。
このことについての法律上の定義というものはないようです。
ヤングケアラーにとっては人から見れば、そのような生活だとしてもそれが“当たり前”であって、自身では「ヤングケアラー」だという認識が全くないという子どもも少なくありません。
私もそうでしたから、この場で伝えたいと思います。
何かがおかしいとは当時思っていましたが自分が親によって何らかのマイナスを負わされているとは思ってもいませんでした。
まずは実態を知ってほしいという思いとこの言葉を知って初めて私自身もヤングケアラーだったのだと気が付いた事実を書きとめたいと思い、ここに記したいと思います。
「ヤングケアラー」の子どもの割合について厚生労働省と文部科学省は、2020年12月から2021年1月にかけて初めての実態調査を行ったというニュースをみかけました。
この記事を見たときの私のショックははかりしれないものでした。
内容が私のことを語っているとつらい哀しい気持ちになりました。
公立の中学校1000校と全日制の高校350校を抽出し、2年生にインターネットでアンケートを行うなどの合わせておよそ1万3000人からこ回答を得た国として初めての実態調査を行ったという内容です。
家族の世話や介護などに追い込まれている「ヤングケアラー」と呼ばれる子どもたちの割合は中学生のおよそ17人に1人、高校生のおよそ24人に1人だということでした。
中学高校生活での1クラスに1人は存在することになるという内容です。
ヤングケアラーが大人に代わり担う内容は食事の買い出しや準備、洗濯などの家事全般を担っていることが多く、他にはきょうだいを保育園などの施設に送迎したり、見守りが必要な祖父母の介護をしたりと多岐にわたっています。
毎日の世話にかける時間は、平日の1日の平均で中学生が約4時間、高校生は約3.8時間です。
1日に7時間以上もの長い時間を世話に費やしている生徒は1割を超えているということです。
私もきょうだいの世話を始め、自営業を営む親や家族のため毎日の食事の買い出しや準備、洗濯なや家族の弁当作りなど家事全般を毎日当たり前のようにしていました。
「家族なんだから助け合うのが当たり前」という呪縛に支配され結婚するまでの長い年月の間、時間や子供らしい生活を搾取されていたのだと改めて気が付きました。
そのため部活動や友達と外出などといった学生ならではの生活に参加することは、家事が出来なくなるからしないよねの無言の圧力のため家族に交渉することも諦め、誰かに相談することもなく学校や周りの友達からの避難を受け流さざるをえませんでした。
中学校の決まりで、どこかの部に所属しなければならないのですが、所属しているだけで参加できないのですから幽霊部員となり顧問や同じ部員から非難中傷の嵐でした。
ですが、その当時の私は私だけが負わされることはおかしいと思いつつも、学校の先生や友達にいわゆるヤングケアラーとして家事全般をしている事実をなんとなく恥ずかしいとの認識が心のどこかにあり、言い出せず相談することも、悩みとして吐きだすことも、もちろんしませんでした。
いえ、しなかったというよりも家族のことを他人に話す恥ずかしさが強すぎて出来なかったのが事実でした。
また進学や就職といった人生の選択が必要な場面でも家を離れることはイコール家族を見捨てることなんだと常々言われてましたし、きょうだいを育てたのはあんたなのに途中で逃げるのかとも事あるごとに言われたりしてました。
結局、家から通えることを大前提に希望とは違う選択をすることが当時の私には当たり前のことと自然とすり込まれていきました。
実態調査を行ったプロジェクトチームの調査結果を踏まえ、国がまとめた支援策とは?
「ヤングケアラー」プロジェクトチーム報告書の主なポイント
・自治体による独自の実態調査を推進
・介護、福祉、医療、教育など各分野の専門職に研修を実施。多機関連携の支援マニュアルを策定
・SNSなどを活用した相談体制の整備
・幼いきょうだいのケアを担う子どもがいる家庭への家事支援サービスを検討
・2022~24年度をヤングケアラー認知度向上の集中取り組み期間とし、中高生の認知度5割を目指す
まず1つ目が「早期把握」です。
実は、ヤングケアラーは私のように本人にそれ程の強い自覚がなかったり、家族問題を知られたくないという子どもが背負うべきことではないのになぜか親の立場上言わないほうが良いかもしれないといった脅迫概念が強く、人に話すことが悪いことだと思うことが少なくありません。
そのため、国もまずヤングケアラーをいち早く見つけ出しその後の支援につなげることが重要だと私も思いますし、本当は心のどこかで周りの大人たちに気がついて欲しかったのだと今では思えます。
自治体による実態調査の推進でそんな子どもを少しでも把握し、助ける手立てにつなげてあげてほしいものです。
2つ目に「支援マニュアルの策定」です。
介護、福祉、医療、教育などの多機関間で各分野で専門の職に就いている方々に研修を実施しヤングケアラーの実態を把握し、多機関が行体の垣根を超えて連携できる支援マニュアルを策定することを推進しています。
色々な機関の方々が関与し協力てくだされば、当人たちも様々な方々からの言葉があれば理解しやすいでしょうし、親からの呪縛が溶ける手立てになると思いますのでしっかりと連携を計って取り組んでいただきたいです。
3つ目は「相談体制の強化」です。
SNSなどの媒介を活用してヤングケアラー本人や周りの人たちからの相談を直接できる体制を強化し、相談することがこの問題を改善する大切な役割を果たすという観点からも切にそう出すできる状況の構築にすることを推進しています。
まず相談することができれば、当事者ひとりひとりが抱えているよりも、例え具体的な答えが無くても心の支えになると思います。
共感してくれる人がいるのといないのでは雲泥の差があったと思います。
第三者の立場のかたの窓口があることは、知り合いに相談するよりもハードルが低めとなりますので、ある意味で相談しやすい環境なのではないかとも思います。
4つ目は「ヤングケアラーの家事支援」です。
幼いきょうだいのケアを担うヤングケアラーがいる家庭において、親だけに任せることなく行政が関与して家事支援サービスを受けられることができる仕組みの構築を検討しています。
私も誰かが私の仕事をしてくれるのであれば、もっともっと違う生き方を選択できたと思います。
このような積極的な家事支援の対策があれば、私の人生にも影響あったのかなぁってつくづく思います。
5つ目は「ヤングケアラーの認知度の向上」です。
ヤングケアラーという言葉をまず知らないのでは、救うことなんてままならないと思います。
この言葉を世の中に広めることは当事者自身が「自分はヤングケアラー」なのかもしれないと気がつけば自身を救うことに直結することになりますから、本当に自覚が有る無いの境界線は大切だと私も思います。
当事者たる18歳未満の子どもたちに認知されなければ、自分はヤングケアラーだと発信することなど無く、最善の施策には至らないと思いますのでヤングケアラーの救済のためには認知度の向上を早急に目指していただきたいと思います。
ヤングケアラー当事者だった頃の私を振り返って
今から30年以上前のことになります。
今でいうヤングケアラーだった私は自分の夢も希望も持つだけ無駄なのだと生きていました。
そしてだれかに話すこと、相談することは当時の私にはある種の恥ずかしさでしかなく、昨今のような対策や施策はありませんでしたので相談なんて出来ませんでした。
あの当時のバブルはじけて不況が囁かれていた状況では、両親ご共働き世帯が増えはじめこどもの数が今よりも多かったのでヤングケアラーの割合は高かったように思います。
その時代にこんな考え方すら無かったのですから仕方ないことなのかもしれませんが、仮に当時の私が誰か周りの大人に素直に相談出来ていたとしましょう。
例え誰かに相談したとしてもそのまま加害している親に返す形での対応をされ、更に私の立場が窮地に立たされていただろうなと安易に推測できるのですから質が悪いですよね。
でも今は違います。
このような対策が検討されるこのご時世に感謝と畏敬の念を抱かずにはいられません。
そこであの頃の私に伝えたいことがあります。
あなたはあなたの信じた道を進むことは誰にも邪魔できない事なんだよと、あなたが望むことは例え親でもきょうだいでもあなたの足かせ手かせになるなら、他人に任せてしまったとしてもそれはあなたの責任では無いのだと、だから、自分の夢ややりたい事を諦めないでと伝えたいですね。
私のようにその家から出ることだけが唯一の自身の夢になってしまう前に、今の世の中がもっと早く訪れてくれていたならば、私の人生にも一筋の光があったのかもしれないと悔やまれてなりません。
逃げてもいいんだよ。
その家族は機能不全家族なのだから、あなたのせいじゃないし、あなたは決して悪くない。
当たり前の権利を主張したのに責められるのはお門違いなんだからねって、もっともっと堂々としてていいし親きょうだいだからとあなたが背負う必要ないし気にしなくていいんだよ。
そんな親やきょうだいを捨てたってあなたのせいじゃないんだよ。
生まれてきたときから、それは誰にも冒すことなどできない大切な貴方の権利なんだよって伝えたいです。
本当はヤングケアラーなんて言葉が生まれないことが最善だったのでしょうけど、そうも言っていられないですから、これからはそんなつらい立場の子どもがせめて一人でも生まれることが無いように、強く自分の夢や希望を持って生きられますように、そんな社会になること心から祈っております。