iroiro_mangoの思い込みブログ

思い込みって・・・オムツ八枚重ね履きの術

交通事故にあって被害者が苦しむことなかれ

今から15年前のことになります。

信号待ちのため停まっていた私の車の後方からノーブレーキの車に追突されるという事故にあいました。

 

100対0で私には過失なしの事故です。

 

そのため苦労しましたので参考までに下記に書き記し、事故の被害者の方々の力になれればとお伝えしたいと思います。

 

私は事故直後、自身の入っている保険会社に事故報告して確認しました。

自動車保険の場合は過失が0だと保険会社間での交渉ごとはできないと回答されました。

じゃあ何のための保険なのかとショックでした。

こうして相手の保険屋とのやり取りは私自身が受けることになりました。

 

事故の内容ですが、私の乗っていたワンボックスカーの後ろのバンパーがのめり込んだ追突の衝撃で身体がフロントガラス側に激しく突きつけられそうになった瞬間、無意識にハンドルから手を離していた左手をダッシュボードについて片腕で身体を支える形をとっていました。

 

その衝撃で左肩の鎖骨の骨が変形し鎖骨を取り囲む前後の筋肉も一部機能障害、無傷の筋肉で左腕は動くものの変形した鎖骨が左腕の神経にあたり腕の稼働範囲が急激に狭まりました。

そして左腕に後遺症が今でも残っています。

 

事故当時は何もしていなくても腕のみならず頭や首といった上肢の広範囲が痛み、歩くことすら困難な状態で痛み止めの薬を飲んでも痛みは一向に改善する兆しがありませんでした。

 

痛み止めのくすりを飲み続けることにより胃腸の調子まで悪くなるし、あまりの痛みのため寝ることもままならない状態が2ヶ月以上続きました。

 

その間病院に通っていましたが、病院の医師も加害者の保険屋も、私が事故の賠償金を釣り上げる目的で痛みを訴えていると決めつけて痛みの原因をしっかりと見極めてもらえませんでした。 

 

事故した当時、救急車で市民病院に運ばれてレントゲン取りましたが骨は折れていないから大丈夫だろう程度の所見で終了しました。

 

その後自宅近くの病院で診察や診療を受けてましたが、事故から2ヶ月が過ぎても一向に私の握力が戻らず、3ヶ月近く経った頃病院の医師が神経の検査のため検査機器を備えた総合病院で検査するための紹介状を書くと言い出しました。

 

それまでは左腕側が痛くても利き腕の右が使えるから、まだ良かったよねみたいな空気がどことなく漂っていました。

あの当時、上肢に及ぶ痛みと左腕全体が重くだるく思うように体が動かせないことがどんなにつらい悲しい気持ちなのかとか、身体の不調はまるで私の気の持ちようとばかりに真摯に向き合ってもらえない精神的に追い詰められる地獄の真っ只中でした。

それも検査によりやっと終わるかもしれないと期待したことを今でも覚えています。

 

握力の検査は事故直後から病院での診察にかかる度、当たり前の様に受けてましたが握力を本気でしてないからだろうと決めつけた対応をされ握力の測定はまるで犯人探しのような生き地獄でしかありませんでした。

 

病院の医師に本当にそれが限界の握力なのかと聞かれる度、私が演技しているかの如くの追求に何度も訴え嫌気がさすほどの悔しさからどうしようもないほど何度も涙しました。

 

病院の医師は普通に診察していて、私にそれが限界ですかと聞くことは普通なのかもしれませんが、わざと痛いふりして毎回握力に加減をして訴えているんだろうと突きつけられている感覚しか感じられず当時の苦しみについては、一生忘れることが出来ません。

 

測るたびに7から8キロの測定値を続けられるかどうか考えれば分かりそうなものですが、私はよほど力加減が絶妙に人間とでも思われていたのでしょうか。

 

背筋を伸ばし立った状態で腕を床に向かって下げ、測定盤は私の膝横にあるのですから測定値が見えない測定を週に2、3回のペースで2ヶ月以上もの間測った握力はほぼ同数値です。

 

痛いから痛い、それ以上でもそれ以下でもないなのに痛いふりしている様に扱われる辛さについては、残念ながら我が家族からも感じていました。

 

見た目では私の苦痛は判らないし、病院での診断は本人が言っているむち打ちと肩が痛いこと、見た目では痛みに直結する病名もないのですから仕方ないことなのかもしれませんが、家族にまで信じてもらえてないという気持ちが引き金となり徐々に追い詰められていきました。

 

腕が身体についていてもほとんど使えないのならいっそのこと片腕が無くなれば良かったのにと、腕がない状態の見た目から障害の有無がはっきりとしていれば、当時の私は苦しい気持ちが少しでも軽くなるのではないかと考えるようになりました。

 

毎日何度も相手の保険会社から電話がかかってきて保険の示談交渉の催促にもうんざりしていました。

しかも病院の医師からの情報を盾に事故から2ヶ月経っても病名がつかない状態を続けるのは、なにか他に目的があるのではないかという言い方もされました。

示談も何も痛みの原因すら判らない時に何言ってるんだろうという思いと、個人で対応している私に対して強気だったのだと思います。

 

その頃になって、自分の入っている自動車保険の特約で通院の日にちにより支払われる書類提出の手紙が届きました。

 

そこで、保険相談窓口に事故直後から2度目となる電話をしました。

 

書類の内容について確認後、100対0で保険会社間の交渉ごとは無理とは聞いてますが相手の保険屋がかなり高圧的で、自分個人での対応がとても辛いということを伝えると窓口の方が弁護士特約を使えば相手の保険屋と私についた弁護士との交渉になると教えてくださいました。

 

事故直後の問い合わせの際の担当がもう少し親身で親切であれば、この情報ももっと早く私の知るところであったのだと思いましたが、一刻も早くこの苦しみから逃れたいと弁護士特約を使うことにしました。

 

弁護士の選択方法としては、自分で弁護士を探すやり方と保険会社が提示する弁護士から自分で選ぶやり方がありました。

 

私は身体の不調から安易に保険会社の提示した中から選ぶ方にしましたが、後に後悔することになりました。

 

なぜなら選んだ弁護士さんの事務所まで医療行為や事故資料などの重い資料を持参して、自分で弁護士事務所を訪ねて相談することが当時の痛みに苦しむ私にはとても辛い作業となったからです。

 

自分でネットで探して電話で相談できる法律事務所が多数存在することをこの当時の私は知らなかったのです。

 

アディーレ法律事務所さんには私自身のこの事故ではないのですが、私の事故から4年後の娘の交通事故の時に色々サポートしていただき、大変助かりました。

 

 

 

病院の医師からの紹介状を持って総合病院で詳しく検査していただいて私の病名が判明しました。

 

外傷性胸郭出口症候群と外傷性頚部症候群、どちらも事故との関連を証明することが難しいといわれましたが、弁護士のかたの親身な援護により、後遺障害等級14級9号の認定が降りました。

当時は心からありがたく思っておりました。

 

後遺障害等級についてですが、私の場合は本来なら充分に12級13号に値すると後に知りましたが、この当時は相手の保険屋と直接話すことが無くなったことがなによりも大きく、身体の痛み以上に助かりましたので仕方ないと今では諦めはついています。

 

この事実を知ったときは正直悔しかったです。

だって後遺障害慰謝料の金額がまるで違いますからね。

 

事故にあって痛みと一生付き合うのが自分や家族だとすると受け取る金額しだいで苦しみがなくなる訳ではないのですが、後遺症と闘う力には必ずなります。

 

この内容が全ての事故の後遺障害認定者に導くわけでもありませんが、事故に遭い苦しい思いをする人がちょっとでも前向きになったりして被害者なのにつらい思いをするのは私で終わりにしていただければ幸いです。